先月、ぼんやりと本屋をさまよっている時、稲垣えみ子さんの「もうレシピ本はいらない」が目につきました。レシピ本はいらない、って言っているのに、レシピ本のコーナーに置いてある!(謎)
この方の「魂の退社」は、以前友達に借りて読んだことがありました。なかなか豪快な人だ。
「もうレシピ本はいらない」の中で稲垣さんは、ぬか漬けを作ったり、野菜を干したりしています。こういうことは料理のレベルの高い人のすることだと思っていましたが、むしろ逆だと書いてある。
なら、私にもできるかも。
全部は鵜呑みにはできないにしろ、面白そうだなと思う。
私は、自分でぬか床を作ったりというようなことはしないので!(苦笑)、京都の料亭からぬか床を取り寄せることにし、とりあえずキュウリやらニンジンやらを埋めてみました。
すごい。
さすがに京都の料亭のぬか床は美味しい。
アスパラガスやエリンギを浅漬けにするのも、予想以上に楽しい。
友人の話だと果物なんかもできるらしい。
塩分取り過ぎにならないようにしなくちゃ。
「どうせそのうち飽きるに違いない」と周囲からは言われつつ、ぬか漬けで遊んでいる間に体調が少しずつ戻り、出かけられなかった演奏会にも行けるようになってきました。
そして今度は、アマゾンで、キャンプの時に食器を乾かしたりするハンギングネットを購入。
エノキダケとニンジンを干してみました。
半日くらい干しておくと、なかなか良い感じに干からびたので、味噌汁に入れてみる。
味が凝縮されて、ニンジンなどはほんのりと甘くなっていました。
私はいったい何をしているのだろうか、とは思うのですが、こうやっているうちにいつものように歌える状態が戻ってくれば良いな、と思っています。
お彼岸には徳島に帰り、母方の祖母の50回忌の法要をしてきました。
50年近く経った今でも、こうやって供養ができるということは、むしろおめでたいことなんじゃないか。法事だけど!
一昨年、祖父母の住んでいた家も解体しましたので、その区切りということもありました。
今回はどうしても着物で法要がしたかったので、重いのを承知で持っていきました。
着物は、持つより着ていったほうがだんぜん軽いのに(笑)
万筋(細い縦縞)の江戸小紋で、遠くから見るとグレーベージュの色無地のように見えます。
帯は、母が作ってくれた喪服用の黒帯を、修理して使用。
黒の帯締めは古くなっていたので、新しいのを京都の井澤屋さんで買ってから行きました。
お寺の本堂で住職の読経を聞いていると、バタバタした日常を忘れて、とても静かな気持ちになりました。
徳島はまだ桜が咲いていなかった。
途中で雨も降って、少し寒かったけれど、とても良いお彼岸になりました。
是非とも行ってみたいと思っていた、塩田千春さんの個展「魂がふるえる」(2019年6月20日~10月27日)に行ってきました。
入り口からして、ふわふわした羽のような舟《どこへ向かって》に誘われて、わくわく。
赤い毛糸が毛細血管のように張り巡らされ、ずっとそこにいると、身体の中にいるようにも外にいるようにも感じられる《不確かな旅》。
焼かれたピアノが、観客席と無数の細く黒いリボンで繋がっていて、それが煤のようにも、立ち上る音のようにも見える《静けさの中で》。
天井から赤いロープで吊るされたスーツケースだけが川の流れのように旅をしている《集積-目的地を求めて》。
森美術館の広い空間を利用した、これらの大きなインスタレーションは圧倒的です。その他の小さな展示も凝っていて、独自の世界観を放っていました。
撮影禁止エリアには、舞台美術に関する展示もあり、塩田千春さんがワーグナー作品のオペラなどの舞台美術も手掛けていることを知りました。
なるほど、と腑に落ちたような気がしました。
なんとも言えない不安感、不協和音、それらが記憶を呼び覚ます、なおかつスケールの大きな作品、ぴったりかも。
それにしても、夢に出て来そうです。
10月に入り、やっと緊急事態宣言が解除になった。
10月7日夜には関東地方で地震があるなど、新型コロナ以外にも不安なことは起こるものだけど、やりたいことは合間を縫ってやるしかないし、行きたいところには工夫して行くしかない。
地震の次の日、知人の出演するオペラを見るために伊丹まで行ってきた。
500席くらいの、良く響く感じの良いホールで、1階席はほぼ満席だった。
舞台には2段に設営された大き目の台だけがある。そこを中心に照明によって場面の違いを表現する、というシンプルな演出だった。
合唱は人数を抑えてあり、キャストどうしも距離を取り、触れる可能性のある場面では手袋をするなど、感染症対策にはかなり気を遣っているようだった。
練習中も抗原検査を毎日行っていたとのこと。
見ながら、「コロナが落ち着いたとしても、舞台は完全に元通りというわけにはいかないだろうな」とぼんやり考えていた。
オペラ公演は、ただでさえ準備の段階から予想外のことが起こるというのに、これにコロナ対策まで加わるのかと思うと、運営する側としては気が遠くなりそうである。
全員が揃って本番が迎えられるためにはどれだけのハードルがあったことだろうと思うと、無事にこの日が迎えられた主催者や出演者に敬意を払うと同時に、とても羨ましくもあった。
あくる日は、京都に出向き「風俗博物館」に向かった。
「源氏物語」や「枕草子」「竹取物語」の装束を、実物の約4分の1でお人形に着せて展示してある。
先日の「香の会」で、「砧を打つ」というテーマが取り上げられ、この風俗博物館が話題に上っていたので、是非とも行ってみたいと思っていた。
布を叩いて、柔らかくしたり皺をのばしたりするのが「砧」というものらしく、和歌にも詠まれている。
今は「アイロン」っていう便利なものがあるんだけれど。
平安時代の装束は優雅で、文様や色合いも飽きない博物館だった。
11月下旬、島根県の隠岐の島まで行ってきました。
久々の飛行機を乗り継ぎ(羽田→伊丹→隠岐)、午後3時ごろ、どうにかこうにか隠岐の島に辿り着く。が、よく調べてこなかったため、島内での移動手段が不明。
メインの目的は、次の日のオペラ「愛の妙薬」だったのですが、関係者は準備に忙しく、とても私の相手をしている暇はなさそう。
私が、ホテルの気さくなお姉さんに「ローソク島というのだけは絶対見たい」と言い張ったため、タクシー会社に相談してくれて、「まずローソク島を目指し、その後、夕刻の西海岸線をタクシーで南下してくる」ことになりました。
ひとりで乗るのはちょっと贅沢だと思ったけれど、周りに誰もいないし、まあ良いか。
ガイドブックなどでは、ローソク島に夕日が灯る写真をよく見かけるのですが、これは遊覧船に乗らないと撮れない写真らしく、遊覧船は4月~10月までしか運航しておらず、しかも100%撮れるというものでもないらしい。
今回は、遠くにローソク島が見られて、海辺ではタクシーの運転手さんに小さな黒曜石を拾ってもらいました。
それからはひたすら西側の海岸線を下ってきたのですが、「油井の前の洲」という場所の、水平線に沈む夕陽は、それはもうカレンダーレベルの美しさ!
若き日を過ごした瀬戸内海の夕陽がずっと好きだったのですが、日本海の夕陽もまた素晴らしいです。夕陽だけを集めてある写真集があるけど、分かるわ~。
この日は特に天候に恵まれ、何もかも忘れてただひたすら感動しました。
さらに海岸線を下ると「那久岬」に着き、このあたりまで来ると夕陽が真っ赤になって、今にも水平線に溶けていこうとしている光景が見られました。
いろいろと辛いことや釈然としないこともある毎日ですが、そういうことも、もういい。
自然は偉大。
次の日は早起きして、ホテル近くの海辺を散歩したり、「玉若洲命(たまわかすみこと)神社」まで片道30分くらいかけて歩いて行ったりしました。隠岐は「神々の島」と言われるだけあって、それはそれはたくさんの神社があるのですが、後から聞いた話によると、「玉若洲命神社」にお参りするだけで隠岐の神社をすべて回ったことになるらしい。偶然とはいえ、なんて便利なんだ。
あと、魚介類は、お刺身でも煮ても焼いても、すべて美味しかったです。
唯一ひとりじゃなくて他の人たちと一緒に食べた海鮮丼を載せておきます。
あの夕陽をまた見るために、そして隠岐の日本酒「高正宗」を片手にあの新鮮な魚介類を味わうためにまた行ってみたい。なんだか懐かしいような場所でした。