猫カフェに行くまで

猫動画は最強。

普通に歩いたり、エサを食べたり、寝たりしているだけなのに、こんなにいつまでも見続けられる存在なんて、他にあるだろうか。

猫動画を見ていると、子どもの頃に一緒に過ごしていた我が家の猫様の思い出が一気によみがえる。

 

それは綺麗な猫だった。

いつも一緒に遊んでいた。

私が歌を歌っていると、アップライトピアノの上から飛びかかってきた。

夜は布団の上からいつも私を押さえつけて寝ていて、私は身動きが取れなくなっていた。

仲が良いんだか乱暴なんだか、分からなかった。

 

猫動画は可愛いけれど、見ているだけでは、だんだん物足りなくなってきた。

神社に居る地域猫に話しかけてみたが、反応がイマイチである。

実際に毛をなでたり、おもちゃで遊んでもらったり、何かを食べさせて咀嚼(そしゃく)音を聞いたりしたい。

かといって、飼うには様々なハードルがある。自分のことだけで毎日いっぱいいっぱいな人生を送っている私は断念した。

 

・・・というわけで、昨秋ぐらいから保護猫カフェに時々通うようになりました。

保護猫というのは、何らかの理由で飼い主が飼育放棄したり、多頭崩壊から助け出されたりした猫さんたちのことである。

そういうところが世の中にあるのも、今まで知らなかった。

猫を引き取ることができないかもしれないのに行っても良いのだろうか、としばらく悩んだ。

悩んだが、そこで過ごしてカフェ代を払うだけでも支援になると聞き、思い切って電話して行ってみた。

行ってみると、譲渡猫を探している人もいたが、ただの猫好きも多かった。

 

猫カフェの雰囲気との相性や、そこにいる猫との相性もあるので、他人が良いと言うところが必ずしも自分にとって良いとは限らない。

でも総じて、猫と遊んでいる間は、辛いことがあっても忘れられた。

 

とある保護猫カフェの猫さん(ミケ、メス)は、他の猫を通りすがりに殴っていくようなヤンキー猫だった。ほとんど野良猫のような路上生活が彼女をそうさせたのかもしれない。人間に対しても警戒心が強かった。

しかし、通っているうちに、私の足の上で香箱座り(上の写真。前脚を胸の下に折りたたむ座り方)をしてくれるようになったのだ。

嬉しい。

こんなことで喜んでいるなんて、もうバカみたいである。

反対に、前行った時は寄ってきてくれたのに、今回は全く相手にしてくれないという猫さんもいたりする。

 

それでも良いのだ。

だって猫だもの。